特集:今春私のまなざし(2020年新春号)

なぜ!なぜ!坊や vs あすやろ老人     作曲:中島 洋一



 私は本来仕事の道具であるはずのパソコンで、気分転換をかねて時々ゲームで遊ぶことがある。私が長くプレイした贔屓のRPG(ロールプレイングゲーム)の 昨年(2019年)の春号で、同じタイトルの特集があり、昨年は平成の時代が30年で終わり令和の時代が始まる年だったので、私個人の視点から平成30年間の世の中の動きを辿ってみました。
 昨年度の今春私のまなざしの文参照(クリック)
ところが今年(2020年)もまた、編集長から、特集「今春私のまなざし」に一文を寄せてくれないかと、声をかけられたので、より個人的なことなら書けるかもしれないと、引き受けてしまいました。しかし、この原稿の執筆を後回しにしてしまい、締め切り直前の段階になってようやく書き始める羽目となりました。けれども、仕事がなかなか手につかず、ギリギリの段階になっても、まだ、未完成という状態ですが、そのようなことは今に始まったことではなく、子供の頃からの私のなおらない性癖の一つなのです。
それで幼い頃と今の私を比べて、何が変わって来ているのか、何を変えられないで今に至っているのか、敢えて書いて見よることにしました。こんな文章を他人が読んでもちょっとも面白くない気もしますが、「無くて七癖、あって四十八癖」という諺にがるように、誰にでもその人特有の癖があるでしょうし、癖というものは、その人の性格、資質と深いつながりを持つ側面もあるのではないかとも考えています。

1950年2月14日(時の記憶)

 人は強く印象に残る体験を記憶していても、それがいつのことだったのか正確に思い出せないことが多いものです。ところが1950年2月14日という何気ない日付を、私は今でも良く覚えています。当時、私は小学2年でまだ下の弟たち二人と両親の部屋で寝起きしておりました。夕食を終えた後、二つ上の姉も加わって、四人で遊んでおりました。両親の部屋の柱には、日めくり暦がかけてあり、日付は2月14日をさしていました。姉弟で部屋の中を駆けずり回りながら、暦の日付をチラリ眺め、「自分はまだ子供だから、暦が示している日付より、ずっと先まで生きて行けるだろう。」という、安心感で満たされました。今年は2020年ですから、今から70年前のことです。
 自分はまだずっと先まで生きられると安心していた私でしたが、小学3年になってしばらく経った頃(いつのことだったか日付は思い出せない)、自分が結核を病んで死ぬというとても怖い夢を見ました。両親の部屋には水墨画の掛け軸が書けてありましたが、少し離れてその絵を眺めると、絵がお化けのように見えることがありました。その絵が私を悪夢の世界へ誘ったように思います。なぜ「結核」なのかというと、当時、結核は死に至るとても恐ろしい病気だと教えられていたのが影響したのでしょう。私は悪夢から目覚めると怖くて泣き出してしまいしたが、母はそんな私をやさしく、しっかり抱きしめてくれました 。
 当時の子供たちは、病気や怪我、身内の不幸など特別の事情がない限り学校を休むことはなかったのですが、その日は学校を休むことが許され、母に連られて隣町の病院を訪れました。病院で診察を受けましたが、もちろんどこも悪いところはなく、看護婦さんに「安心したでしょう」といわれました。病院を出たあと、母と一緒に街の食堂で食べた支那そば(当時の田舎ではラーメンという言い方はなかった)が、とても美味しかったのを覚えています。戦後間もない当時の子供にとって外食で支那そばを食べるのはかなりの贅沢でしたが、それより、ほぼ半日間、母を独占出来たことがとくに嬉しかったのでしょう。私は長男なので、普段は弟たちと違い母に甘えることが許されなかったのです。

なぜ!なぜ!坊や

 私は学校の勉強は好きでなく、宿題などは殆どやったことがありませんでした。というより当時の先生方は、宿題などあまり出さなかったような気がします。
しかし、興味をもてるものに出会ったり、疑問を抱いたりすると、しつこくそれを追求したがる傾向がありました。私が興味をもったのは主に自然科学でしたが、その中でも天文学には特に興味がありました。
私が育った子供の頃は、戦後間もない時期でしたので、その後、学説が否定され役に立たなくなったような科学書もありましたが、光の速度は秒速30万キロということは、すでに定説になっておりました。
 

 ロッチャク(ロウ石)

 当時、子供達が、コンクリートの床や石の表面に絵や文字を書いたりする時に使う「ロッチャク」(ろう石)と呼ばれた遊び道具がありました。それは柔らかい石の破片で作られた筆記具で、近所の遊具店で買えました。チョークより安く買え、長持ちしたので多くの子供たちが持っていました。
小学校4年の頃だったと思いますが、散髪をするため行きつけの床屋へ寄ったとき、店が混んでおり、すぐには順番が廻って来そうにないので、待ち時間の間、光が一年かけて届く距離(つまり一光年)がどれくらいの数字になるか、計算してみることにして、ロッチャクを使って玄関のコンクリートの床に数字を書いて計算をはじめました。
 閏年、平年をならして平均した1年の長さは、本で読んで365日5時間48分46秒と記憶していましたので、(365×24×60×60)+(5×60×60)+(48×60)+46 これで一年間を秒に換算できます。
そこで得た数字に30万kmをかけると1光年の長さになります。一見小学4年生には難しそうにみえるかもしれませんが、足し算と掛け算だけなので、やり方は難しくありません。ただ、膨大な桁数になるので、計算を終えるまでには、かなりの根気を必要とします。
 私は夢中で計算を続けましたが、その時は計算をし終える前に自分の散髪の順番が廻って来たような気がします。家に帰ってから計算し直し、一光年の距離は約9兆5000億Kmと判りました。本を読んで、太陽から一番近い恒星は4.3光年(多分ケンタウロス座のα星)ということを知り、太陽を直径1cmのビー玉にたとえると、一番近い恒星は太陽から約300km離れた位置にあり、太陽を10円玉の大きさとすると、一番近い恒星までの距離は約700Km。宇宙空間がいかに広く閑散としているか確認して驚いたものです。(太陽系は銀河系宇宙のかなり端に位置していますが、銀河の中心の方では恒星などが、より高い密度で存在しているようです。)

 
あすやろ人間

 映画「あすなろ物語」の一シーン

 私が小学生、中学生だった頃はまだテレビは普及しておらず、映画全盛の時代でした。ただ子供たちだけで映画を観に行くことは少なく(小学生の頃は父兄の同伴なしで映画を観に行くことは禁止されていたような気がします。)その代わり、先生方の引率で、学校が許可した映画をみんなで見にゆく機会が多くありました。誰がどういう規準で映画を選び子供たちに見せていたのかは判りませんが、名画が多く、「24の瞳」、「ビルマの竪琴」など、今でも鮮明に記憶していますが、そういう作品だけでなく、ディズニーの漫画など楽しいものもあり、私は映画を観に行く時間が好きでした。

  福島県 三春町:天澤寺の天邪鬼


 多分中学校の頃だったと思いますが「あすなろ物語」という映画を観たことがあります。
井上靖の自伝的小説を原作とした映画で、「アスナロ」はヒノキに似た針葉樹ですが、ヒノキではありません。「明日はヒノキになろうと一生懸命努力しているから、この樹を<アスナロ>と言うんだよ」と登場人物の誰かが少年に教えます。つまり、「あすなろ物語」は、一人の少年が色々な試練を踏み越え成長して行く姿を描いた、前向きな物語だったように記憶しています。
 しかし、子供の頃から、やっておかなければならない重要なことに出会うと、今日は止めて「明日やろう」と後回しにする傾向がありましたが、そういう傾向が年を重ねる毎に強くなって来たような気がします。あまりやりたくない億劫な事ならともかく、自分自身、これは重要だと思った事ほど、心の中に棲む天邪鬼が「いま急いでやる必要ない」と耳元でさややくのです。それで私は「あすなろ物語」を捩って、私のは「あすやろ物語」で、私はあすやろ人間だ!と自嘲するようになりました。
 
 
夢の逆襲

 はじめの方で、幼い頃、自分が死ぬという怖い夢を見たことを話しましたが、怖い夢は青年時代にもよく見ました。しかし年をとってからは、あまり怖い夢は見なくなりましたが、変な夢をよく見ます。それは、「今日はどこかの大学で講義をする筈だったが、手帳が見つからず思い出せない」、「そうだ、10:30からはソルフェージュの授業があった筈なのだが、教材のコピーをし忘れていた」、「あの人にやってあげると約束したことを、いまだ果たしていない」、「○○大学に合格したはずなのに、まだ入学手続きを済ませていない。」など、何かやらなければならなかったことをし忘れてしまっている。というような不安で後味の悪い夢です。
 それは、「あそやろう」、「あすやろう」とやるべき事をやらずに引き延ばして来たことから生じた罪悪感や焦燥感が、無意識の領域に蓄積され、それが夢という形をとって、私の意識の世界に逆襲をしかけているということかもしれません。

 
「あすやろ」の性癖の克服法

 少年時代、私は「なぜ!なぜ!坊や」で、疑問が生ずるとしつこく追求したがる性癖があったことをお話しましたが、「なぜ!」は対象が科学だからで、対象が変われば「もっと!もっと!」になります。
 私は当時の田舎の子としては珍しく、小学校3年からピアノを弾き始めましたが、指の練習は嫌いで、演奏技術はさほど上達しませんでした。しかし、即興演奏は好きで「もっと!もっと!」と好んで弾きました。「なぜ!」も「もっと!」も、なにかに夢中で集中している心の状態であることは同じです。一方「あすやろ」の方は、集中がもたらす緊張感から逃れたいという欲求がもたらすもののようでもあります。
 70年以上も「あすやろ」という性癖と同居してきた私ですが、まだそれほど有効な克服法を見つ出してはいません。しかし、誰かが言っていたような気がしますが「欲望を征服する最良の方法は、欲望に征服されることだ」という具合に、「この仕事は今日やらずに明日まわしたい」という欲望に取り憑かれたら、「いや今日中にやらなければならない」と力むのではなく、「やりたくなければ明日やればいいではないか」と、むしろ、自分の怠け心を許してやる方が、どちらかというと「あすやろ」の性癖から速めに抜け出せることが多いような気がしています。
 心の風向きが変わると、「やらなければ」→「やりたい」→「やろう」と心が急速に集中モードに移って行きます。作曲をする時などは、このように心が変化して行くことが多いです。

 
命の時間

 70年前の2月14日、「自分はずっと先まで生きられる」と思って安堵感に浸っていましたが、
その頃の人間の寿命は、せいぜい60〜70才程度だったと思います。ところが私は78才になりました。
 残された命の時間は、悪夢を見て死の恐怖に怯えた少年の頃に比べて、ずっと少ない筈です。
しかもやり残していると思っている事は沢山あるのに、「あすやろ」性癖に対してなんと寛大なことか。
 「なぜ!なぜ!坊やvsあすやろ老人」という文のタイトルについては、おそらく訳の分からない変なタイトル、と感ずる人が多いかと思いますが、どちらも子供の時代から今まで引きずってきた私の性癖です。ただ、子供の頃は「なぜ」の性癖の方が優勢だったのに対し、年老いた今では「あすやろ」の方が情けない話ですがやや優勢になっています。それで「坊やvs老人」としました。
 しかし、「なぜ!なぜ!坊や」は「なぜ!なぜ!じじい」になっても、いまだ健在です。
もちろん、天文学に対する好奇心も失せてはいませんが、最近はもっとスケールの小さな世界、地球史、人類史などにより強い関心があります。
この頃は地球温暖化が人類や自然にもたらす影響が、地球規模で気象の変化として現れはじめ、大きな問題になって来ています。産業革命時代から現代にかけて空気中の炭酸ガスの濃度は約50%増え、地球の平均気温はここ100年で1度上がっているそうです。
 しかし、地球史レベルで見ると炭酸ガスの濃度が今よりずっと高かった時代もありますし、地球史的にはごく最近に属する最終氷河期(7〜1万年前)には、地球の平均気温は7度ほど下がり、大陸に氷床が広がり、海水面は120m下がったといわれています。つまり、今より寒い時期や暖かい時期を現存人類は生きながらえて来たのです。ただ、最近の温暖化はとても短い期間に進行し、それは疑いもなく現存人類がもたらしたものであるからです。
 現存人類(ホモ・サピエンス)の発生は今から20万年前(最近はもっと古い時代という学説もあります)と言われていますが、7万年前には個体数が1万まで減少し絶滅危惧種なみだったそうです。それが約6万年前にアフリカから世界中に広がりはじめ、文明の発達とともに急速に人口が増加して、今では70億人にまで増えました。「人類の存在が地球環境を破壊する」などとやや大袈裟な意見を吐く人もいますが、46億年の地球史のうちはじめの40億年は、地球上に草木はまったくありませんでした。人間がどんなにあがいても再び地球を草木がまったく生えない環境にすることは難しいでしょう。地球レベルで見れば、たった一種のホモサピエンスという動物が異常繁殖し、地球環境を少し変えた、という程度のことかもしれません。しかし、人類の活動によって、地球を人類や他のかなり多くの現存生物にとって、住みにくい環境に変えてしまう可能性は十分にあります。氷河時代も、間氷期も生き延びてきた人類ですから、そう簡単に滅亡するような事態は招かないかもしれません。しかし、人間は自分の心によって行動を変える生物です。もし「人類の存在はこの宇宙にとって罪悪だ!」というような自己否定的な思考に取り憑かれれば、自分たちが自滅する方法を選び、本当に人類は滅亡に至るかもしれません。
 やはり、近未来の地球環境、社会のあり方がどう変わるかは、人類それ自体の存在のあり方が大きく関わって来ると思います。100年後の自然環境はどうなっているか、200年後の人間社会はどうなっているか。知りたい、見届けたい気持ちは強くありますが、寿命が延びたとしても、せいぜい100年程度しか生きられない、我々には知ることも見届けることも出来ません。
 ですから、どんなに生きても、我々人間が知ること、為せることは限られています。
私には、もうそれほど多く「明日という日」が残されている訳ではないのに、己の「あすやろ性癖」と妥協するとは、なんとも情けないともいえますが、最近、病院の先生方から「あなたは癌で入院する以前より、退院してからの方がより健康になった」と褒められました。78才でいまだ健康を維持できているのは、私が自分の心を高い集中状態で持続させることが出来ず、怠けながらのんびり生き永らえているからかもしれません。本当はまだやり残したことが沢山ある気がしますが、あまんり頑張り過ぎないで、出来ることから少しずつ片付けて行こうと思っています。
今年は自作品の楽譜を2冊出版する予定です。ささやかな目標ですが、それが今年の当面の課題です。        

(なかじま・よういち) 本会 理事・相談役
                            『季刊:音楽の世界』2020年新春号掲載 

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