どっちがほんと       夢音見太郎

 人通りの少ない静かな道を選んで歩いていたはずなのに、人だかりに行く手を遮られた。救急車のサイレンがけたましく鳴り響く。野次馬の一人に事情を聞くと「いや、なに、人が一人ビルから飛び降りたんですよ」という答えが返って来た。
 「自殺ですか?」と私は問う。「いや!そうじゃなくて事故みたいです。」「では、落ちたんですか?」「いや、飛び降りたんです。」「自分の意志で飛び降りたんなら自殺でしょ。」「いや、そうじゃなくて、やはり事故と言うべきなんですよ。だって彼は間違えたんだから。」と他の一人が口を挟む。  「間違えたって一体どういうことですか?」「彼は『真世界探索クラブ』の会員なんですよ。真世界探索クラブの事故はこれで三度目です。そろそろ警察も本腰をいれてテコ入れするでしょう。」と、眼鏡をかけたインテリ風の男が説明してくれた。「真世界探索クラブって一体どんな会なのですか?」「仮想現実の世界を探索するクラブですよ。会員制になっていて、かなりの高額な入会金の他に、新しい仮想現実を探索する度に、それに応じたお金を払わなければならないんですが
、最近は退屈な人や、孤独な人が多いせいか、この種のクラブが繁盛しているんです。」  

 バーチャル・リアリティーの世界

 「仮想現実って百年ほど昔の二〇世紀末の時代でも問題になっていましたよね。コンピュータ・ゲームのフライトシュミレータで遊んでいた青年が、本物の飛行機を操縦したくなってハイジャック事件を起こしたとか。」「ええ、でもその頃のものは、パソコンの画面を見ながらマウスやキーボードで操作したり、もうちょっと本格的なものでも、立体眼鏡をかけてスクーリンに写る立体映像を見ながら、レバーを操作して、自分の好きな場所に移動するとか、そんな程度のものが多かったと思います。もちろんインターネットで結ばれているパソコンを通して仮想都市を探検し、買い物をしたり、色々な人々と出会って会話をしたり、友達を作ったりする程度のことは当時でも出来ましたがね。でも最近の会員制のものは、技術的にずっと高度で、より現実に近い体験が出来るようになっているんです。」男の話は続く。
 「クラブに行き機械室に入るとコンピュータとセンサーで制御されている大きな器械がおかれています。会員はまずカード挿入口にIDカードを差込みます。カードにはその会員個人の情報と、購入した仮想現実の種目を識別する情報が記録されています。会員は全裸になり、頭にはヘッドギアをつけ、全身を器械の中に入れます。会員の脳波や体の各部分の神経反応などの情報はセンサーを通してコンピュータに記録されて行きます。そして、それらの情報とコンピュータにインプットされていた仮想現実のデータがコンピュータ上で重ねられ高速に計算処理され新たな制御用情報を生成し、全身の五感を通して伝えられて行きます。そのように手の込んだ処理がなされることで、現実の世界での体験と区別できなくなるほどのリアルな体験をすることが出来るようになっているんです。さっきビルから飛び降りた男は、断末魔の状態を体験したくて、その種の仮想現実を購入し、何度か試みていたのです。ところが今度は現実の世界を仮想現実の世界と間違えて飛び降りてしまったらしいんです。だから、自殺じゃなくて事故に分類する方が正しいと思うんですよ。」
 「他にもこんな事故があったんですか?さっき、これで三度目とかおっしゃってましたよね。」「ええ!でもこの種のものは他人にそう迷惑がかからないからまだましです。ひどいものだと、殺人を体験する仮想現実を購入し、仮想現実上で体験を重ねるうちに、間違えて現実の世界で殺人を犯し、それをいまだに仮想現実上の出来事と思い続け罪を認めないとか、逆に仮想現実上で犯した殺人を現実の世界で犯したものと勘違いし、罪の意識に打ちのめされ、ほんとに自殺してしまったとか、そんな例もあるんですよ。」「それはひどい。徹底的に取り締まり、そんなクラブは早急に解散させるべきだ!」「ええ、それはそう思いますが・・、でも仮想現実の世界を持ったことで、現実の世界においても立ち直り、幸せになっている人もいますし・・・」。私は話を聞いていて背筋が寒くなって来た。

 幸せな結婚生活

 ここでAが助け船を出してくれた。「こんなところにいると頭がおかしくなってしまいますよ。ちょっと息抜きに女の子と話しませんか。実は私の知り合いの妹で、最近めっきり明るく美しくなったお嬢さんがいるんですよ。以前は大して美人でもないし性格も暗く、つきあいにくい娘だと思っていたんですが。」
 Aの薦めで、私は近くの喫茶店で見るからに幸せそうな彼女と会った。
 「なぜそんなに幸せそうにしているの?」
私の問いかけに対して、彼女は嬉々として語り始めた。
 「実は私、八ヶ月前に結婚したんですよ。私の彼って、やさしくてハンサムで教養があって、いつもいい香りを漂わせているんです。私達はハネムーンをライン河の畔にある古城を改造したホテルで過ごしました。ワインを飲んだ後、ネグリジュの下には何も纏わずにテラスに出て涼んでいると、足元や胸元から布地を吹き抜けて入って来たラインのそよ風が私の素肌をやさしく愛撫するんです。そんな風にしてちょっぴりエロチックで幸せな気分に浸っていると、彼が後ろからそっと私の肩に手をかけ、ゆっくりと体を廻しそっと口づけをしてくれました。その後、私の体をいたわるように抱き上げてそっとベッドへ運び、今度は胸を焦がすような情熱的なキスを浴びせかけ、そして、片方の手で私の胸の脹らみをそっと・・・、そして、もう片方の手はふくらはぎの付近を撫で、それから少しずつそれを体の上の方にすり上げて来るんです。私の心と体は嬉しさと恥ずかしさのあまり真っ赤に高潮し、それから・・・」「それから後は映倫カットですよね。」「ええ!」彼女は恥ずかしそうに頷いた。
 「それで結婚した後、彼とどこに住んでいるんですか?」「実は私達は普段は別々に生活し、会いたくなった時にだけ会うようにしてるんです。その方がお互いにいつも新鮮な気持ちで会えるでしょう。」彼女はうっとりしながら語り続ける。
 「彼って思いやりがあって、そしてとても頭がいいの。淋しい時、彼の所へ行くと、いつも優しい言葉をかけて励ましてくれるし、何か悩み事がある時はとてもよいヒントを与えてくれるの。そして私が抱きしめて欲しいと願っている時は、何もいわなくとも私の気持ちをすぐに察してぎゅっと抱きしめてくれるのよ。だから、私は今ほんとうに幸せなの。それに、もうじきハネムーンベビーも生まれるのよ。」彼女はもうすっかり自己陶酔し、私のことなんかそっち抜けで話していた。彼女の言葉に誘われて、彼女の体に目をやったが、お腹はちょっとも膨らんでいないし、ベビー誕生の気配などまったくない。
 あーそうか、彼女のハネムーンも結婚生活もあちらの世界での体験だったのか。私はようやく気がついた。彼女自身がそれに気づいているかどうかは別として、仮想現実上の体験だろうが、現実における体験だろうが、どちらも体験として同じように人間の脳細胞に記憶として蓄えれられて行くのだ。だから、しっかりした自意識を持たずに、あまりにも現実そっくりの体験をすると、あとで、それが現実世界の出来事だったのか、仮想世界での出来事だったのか、自分自身で区別がつなくなってしまうのだ。
 ここまで考えて、私は突然何ともいわれぬ不安と恐怖に襲われた。「今日、私が体験した出来事は、現実の世界でのものだったのか、それとも仮想の世界のものだったのか・・・?」
    (この稿完)

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