悪夢(1)昔よく見た悪夢と、近頃よくみる悪夢

  もの心ついた頃から50代にさしかかる頃までは、良く悪夢に悩まされた、特に、明け方の眠りの浅い時に悪夢を見ることが多かった。そういう時は意識が半分は目覚めているのであろうか、屋外の雨の降る音などが聞こえているというのに、ガーツという音のようなものに包まれ、頭が割れるように痛くなり、いつの間にか、体が様々な所を彷徨っているのだ。周りは林の中だったり、湖水面のわずか上だったり、お花畑の上だったりするのだが、私の体はまったく自由が利かず、自分の意志で場移動することはまったく出来ず、ある時にはゆっくりと、ある時には飛ぶように、漂わされている。ただ体の位置は高い上空にはなく、低空を飛行する場合が殆どである。このまま意識が薄れて行けば、やがて心臓が止まって死に至るような恐怖感に襲われる。しかしやがて飛行は終わり、色鮮やかなデーパートの売り場に出たり、ドアを開けると、突然闇の中でごーという音がする河岸を歩いていたりする。

 ところが、この頃はこういう夢は殆どみなくなった。
最近よく見るのは、以下のような夢である。
 夢の中で目を覚ますと、「今日は水曜日、○○音大か○○大学で講義があるのではなかったか?」と、授業の時間割をメモしたノートを探すが見つからない。なんとか、大学に行き教室を探すが、自分が授業をする教室の部屋番号が思い出せない。もう授業開始時間を過ぎているので、教務課で確認する時間がないと焦り、授業で使用する筈の教材を確認するためカバンを空けて中を見ると、授業で学生達に配布する筈のソルフェージュの教材をコピーしてない。こんな風に、失敗が続き焦っているところで、目が覚める。
 本当に目が覚める場合と、目を覚ましたのは夢の中で、また別の夢を続けてみる場合もあるのだが。
このような夢は大きな恐怖感は伴わないが、じれったくいらいらした気持ちになり、目が覚めてほっとする。なぜ、このような失敗と焦りの夢を見るのだろうか。やはり、まだまだやり残したことが多く残っているのに、このままだとやり残したまま人生を終えてしまうという焦りが、潜在意識として自分の心の奥底にあるからであろうか。
                             2018/01/07

 昔

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