究極のバカ者は葛飾北斎?

 フルトンで始まった「馬鹿者」談義を、葛飾北斎で締めようと思う。
 彼は、間違いなく全世界で最も知られた日本人であろう。随分昔の話だが、私の後輩の日本人女性作曲家Aさん、彼女のオーストリア人のご主人、彼女が創作した音楽にあわせ、筆によるお絵かきのパフォーマンスを行ったウィーンの男性画家とウィーンのレストランで会食した。画家は熱烈な葛飾北斎の崇拝者で、「北斎は類い希な創造力をもった天才だ」と絶賛していた。
 北斎は「富嶽三十六景」を描いた頃だろうか、「自分は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃より数々の図画を顕したが、70歳前に書いたものは実に取るに足らない。73歳になって禽獣虫魚の骨格、草木の生まれと造りをいくらか知ることが出来た。ゆえに、86歳になればますます上達し、90歳にもなると奥義を極め、100歳になると神妙の域に達するであろうか。100歳を超えて描く一点は一つの命を得て生きるがごときものとなろう。長寿の神に、私の言葉が世迷い言などではないことを、見届けてもらいたいものだ。」
 彼は長い人生を生きる間に、浮世絵版画、肉筆画、そして西洋の遠近法など、様々なタイプの絵を、様々な手法を採り入れ描いて描いて描きまくった。私が見たた北斎の絵など、彼の全作品と比べれば、多分ほんの氷山の一角に過ぎぬのであろう。
 それだけ貪欲に描き続けながら、彼は80歳を過ぎてもなお、「自分はいまだに猫もちゃんと描けない」と自分の画力の至らなさを嘆いている。決して現状の自分に満足せず、しかし決して諦めることなく、更なる高みを追い求め続けた北斎。決してギブアップすることのない、究極のバカ者ではなかろうか。
 北斎は長寿だったが、彼が望んだように100歳を超えてまで生き続けることは、かなわなかった。彼は齢90で没している。
 尊敬を込めて90歳に達した北斎が描いた、彼の最後の作品「富士越龍図」を紹介しよう。龍が富士山の上に漂う黒雲の中をさらなる高みを求め、天に向かっている。
   (2018/02/21)

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