人を判るというのは辛い仕事だ。誰も辛い仕事なんかしたくないさ

 昔読んだ『小林秀雄対話集』の中の小林と坂口安吾との対談で、
小林が無頼派文学の旗手と云われていた坂口に向かって「貴方は常識的な人だ。いい意味で言うのだが」というと、
坂口が「そうだよ。俺なんかが一番常識的な当たり前のことを言う人間なんだが、判ってくれないんだね。」
と返す。それに対して小林は「判るというのは辛い仕事だ。誰も辛い仕事なんかしたくないさ」と答えている。

 私は、坂口の小説を読んだことがないので、それについてのコメントは出来ないが、
小林秀雄という人は常識や理屈、観念で断定することを極力避け、対象に対してトコトンねばり強く肉薄し、
その奥底までとらえようとする人だったと思う。
私はそこに文士の強い意志と良心を感じていた。
 若い頃から人付き合いの悪かった私は、自分は本当は単純な人間なのに、
なかなか理解してもらえないという孤独感に苛まれることが多かった。
一方、そのような経験もあってか、自分もおそらく他人を理解していないのではないか、
と考えるようになった。
そういう時期に目にした『人間を理解する仕事はつらい仕事さ』という意味のこの言葉は、
脳裏に焼き付いて離れないものになった。
 私の経験から判断すると、「自分は人を理解できる」と自信を持っている人ほど、
概して人間に対して浅い洞察力しか持ち合わせていない気がする。
小林の言葉は、戒めとなって心の中に生き続けるであろう。

 
    この文の内容は1995年『音楽の世界』の巻頭文「視点」として掲載されたものです。

 昔

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