音楽家と政治   作曲:中島洋一

                                                         

 優れた芸術家は、人間に対して強い関心と深い洞察力を持つものである。それはとりもなおさず、人間が織りなす社会、歴史、政治に対して高い関心と、鋭い批判力をもつことを意味していると言ってよかろう。芸術家は常に精神、そして創造の自由を求めるが、それは、しばしば現実の政治、社会との間に対立を生み出す。その理由は、過去の歴史で見るかぎり、精神、創造の自由がその時代の政治によって抑圧されることがしばしばあったからである。従って芸術家はどちらかというと、既成の政治社会体制に順応するより、反体制的な立場に身をおきやすいと言えるかもしれない。
 例えば、ヴァーグナーは、1848年のフランス2月革命がドレスデンに飛び火し1849年に革命運動が起こると、それに荷担し逮捕状まで出されている。一方、貴族嫌いで共和主義者だったベートーヴェンも、ウィーン会議以降の王政復古時代には、危険人物とみなされ、権力側からマークされていた。
 芸術家の中でも言葉で思想を表現する文学者の場合、革命運動の精神的支柱になったり、場合によっては政治家になったりする例も少なくない。しかし、音楽家の場合は、パデルフスキーのように、ポーランドの首相になった人物も存在するが、これは極めて希なケースであろう。では、音楽史上に大きな足跡を残した大音楽家の場合はどうであろうか?歌劇作曲家ジョセッペ・ヴェルディが国会議員になったことを知る人は少なくなかろう。
 フランス2月革命は、自由主義運動、民族主義運動の大きな波となり、ヨーロッパ各地に伝搬する。それは、ウィーンにも広がり、王政復古の立役者でありベートーヴェンが嫌っていたと思われる宰相メッテルを失脚に追い込む。そして、短い混乱期を経て、あのフランツ・ヨーゼフ1世の長い統治時代に引き継がれることになる。また、この波は北イタリアにも伝搬し、1848年に支配国オーストリアに対してミラノが蜂起し、市街戦が勃発する。その時、息子を市街戦に送り、小国割拠状態にあった各イタリアの国王にミラノ支援を呼び掛け、独立運動の精神的支柱となったのが、文学者であり、小説『婚約者』の著者であった文学者マンゾーニであった。ヴェルディは、青年時代から彼を深く敬愛しており、1873年に彼が没した際、彼を追悼する『レクイエム』を書いている。このミラノ蜂起は、短期間で鎮圧され失敗に終わるが、イタリア人の愛国心と民族意識を刺激し、イタリア独立運動と統一運動は年を追うごとに高まり、さすがのフランツ・ヨーゼフ1世も抑えることが出来なくなる。そしてサルディニア王国のエマヌエーレ2世と首相のカヴァールの巧みな政略によって、1861年にイタリア王国が成立する。ヴェルディの音楽は1940年頃からイタリアの統一を望む民衆に熱狂的に迎えられるようになったらしい。特に歌劇『ナブッコ』の合唱曲「行け、わが思いよ、金色の翼にのって」はイタリア中で愛唱されたようだ。またヴェルディ(Verdi)の頭文字は、[Vittorio Emannele Re D'Itaria](サルディニア王ヴィットリオ・エマヌエーレを讃えて)となることもあり、民衆は[Viva Verdi] と叫び、ヴェルディを愛国運動の象徴として歓迎したのである。そして、彼はその功績が認められ、国会議員に就任する。
 しかし、ヴェルディは、国家主義的愛国運動を素直に受け入れるほど単純な人物だったとは思えない。『アイーダ』は、国に対する忠誠心と、恋人への愛の狭間で悩む男女を描いているし、『オテロ』では、肌の違いからくるコンプレックスから最愛の妻を手にかけてしまう将軍を描いている。『仮面舞踏会』は、側近の妻との色恋沙汰がもとで、暗殺される権力者が描かれているが、史実では、国家の勢力拡張のため、高い税を課し、戦争ばかりしていたスウェーデン国王の政治に対して、反対派が仮面舞踏会の期を狙って暗殺を企てたというのが真相であり、ヴェルディも史実を知っていたことであろう。人間の強さ、弱さを深く鋭く凝視できる資質を備えていた彼は、国家の名の下で行われる行為の残虐さを見抜いていたのではなかろうか。
 一方、1849年革命に参加し逮捕状を出されたヴァーグナーは、バイエルンのルートヴィヒ2世という自身の芸術の崇拝者の庇護を得て、バイロイトに自分のための専用劇場まで創らせる。以下は、カロッサの小説からの引用だが、ヴァーグナーはルートヴィヒ2世に対して、馬車の乗車台に片足を上げ、煙草を吹かしながら[おい、お前]と呼び掛けたそうである。ヴァーグナーは政治家にはならなかったが、国王を跪かせるほどになったのだ。世間的に見れば大成功し、幸福の絶頂にあったように見えるが、はたして、そうであろうか。繊細で鋭敏な感性と鋭い批判力を兼ね備えた芸術家なら、自己を主張し、正当化しようという欲求が強いほど、激しい自己懐疑、自己否定にとらわれやすいものである。私には、彼は作品において、4時間もかけて自我破棄(トリスタンとイゾルデ)し、4時間もかけて自己否定(パルジファル)しているよかのようにみえる。作品から彼の内面の苦悩と葛藤を垣間見ることが出来ないだろうか。
 彼の作品が、社会的に成功し得意になっているような人間が描く浅薄な芸術ではなく、深い苦悩と、そこからの浄化を希う芸術だからこそ、鑑賞者の魂の奥底に届く力をもつのではなかろうか。
またこれは、蛇足だが、北イタリア独立戦争の相手国は、フランツ・ヨーゼフのハップスブルク家であり、フランツの妻、王妃エリザベートはバイエルンの出で、ワグナーのパトロンだったルートヴィヒ2世と最も仲が良かった親族である。ヴァーグナーの庇護者と、ヴェルディの敵対者が妙なところで繋がっているのだ。人間が様々に絡み合い、歴史が作られる。そして、その絡み合いの中で音楽家も生きて来たのであり、これからもそうであろう。
                         
                       なかじま・よういち 本会 理事・相談役

  
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