コロナ特集(1):  新型コロナを巡って
          予期出来ぬ事態に遭遇して考えたこと 
 
                                         作曲:中島 洋一

 私の記憶では、新型コロナウイルス感染問題がニュースになり始めたのは、1月中旬頃からだったと思います。1月16日に、中国の武漢に渡航歴のある中国籍の男性が、日本初の感染者として、報告されました。しかし、1月の段階では、中国、韓国で感染が拡大しつつあったものの、日本に住む我々が影響を受けることは少なかろうと、あまり気にとめませんでした。
 ところが、1月20日に横浜港を出港し、2月3日に帰港し、長らく停泊していたクルーズ船・ダイヤモンド・プリンセス号から、多くの感染者が発生し、その頃から、これはただ事ではいかもしれないと思うようになりました。
 その頃、私は、4月13日に開催を予定していた、Fresh Concert CMDJ2020の出演者を募っておりました。それまでは比較的順調に出演者が集まっていたのですが、最後の詰めとなる、2月初旬になると、参加者がまったく集まらなくなりました。新型コロナに対して、多くの人々が不安を抱き始めたのでしょう。
 それでも私は、同じくコロナウイルスに属する、SARS、MERS などの感染記録を調べ、今度の新型コロナウイルスは、SARS より致死率は低く、インフルエンザほど感染力が高くないという情報を信じ、事態を楽観視しておりました。
 ところが、3月に入ると、ヨーロッパで急激に感染が広がりはじめました。1月31日にWHO(World Health Organization:世界保健機関)が発表した「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態、脆弱な医療制度の国に感染が拡大する懸念」という宣言を踏まえ、ヨーロッパ諸国は先進国であり、「脆弱な医療制度の国」の範疇には含まれないという先入観が私にはありました。
 WHOの見通しも、短期間の間に、大きく変化しましたが、限られた情報だけでは、正確な予測を下すことは難しいということを、改めて強く認識させられました。人は敵が遠くにいるうちは、敵の実像を正しく掴むことが出来ないのです。

ウイルスとはどんなもの

 図1:  「健康用語WEEB辞典」の原画をもとに編集。DNAの四つの塩基、A-T,G-C が二つ塩基対として示されている

 判らないことに出くわすと「知りたい」という衝動に駆られるのが、少年時代からの私の宿癖です。私はもともと、天文学、古生物史、ゲノム科学などに興味を抱いておりましたので、ウイルスについても少し勉強してみました。
 生物の細胞は、必ず生物の遺伝情報などを蓄えるDNA、RNDを含んでいますが、ウイルスとは、DNA,または、RNAだけが独立したもので、それ自体では自己増殖が出来ず、生物の細胞に感染し、その細胞を宿主としない限り、生き続ける(存続し続ける)ことが出来ません。
DNA(デオキシリボ核酸)、RNA(ボ核酸)は、4種類の塩基で構成されています。
DNAは、通常A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の4種類、RNAの場合、通常Tの代わりにU(ウラシル)が入ります。
 なぜ、そんなことを知っているかというと、私が遊んだコンピュータ・ゲームに、アデニンンの街から出発し、チミン、シトシン、グアニン、ウラシルという地下の街を通り、地上に出るというやや不気味なRPG(ロールプレイングゲーム)があったからです。
 その四種類は、上の図1のようにアデニン対チミン、グアニン対シントン というように水素(H)を挟んで対構造になっています。RNAでは、アデニン・チミンではなく、アデニン・ウラシルとなります。(図 2)

 図2: RNAの塩基はチミンがウラシルに入れ替わる。他の3つはDNAと同じである

 図を見ていると、中学生の頃理科で学んだ原子の記号と名前を思い出しませんか。水素以外では、N(窒素)、O(酸素)でしたね。
ゲノム(遺伝情報)は、このような対構造を持つ塩基の連なりからなるので(図3)、それを塩基対と呼び、その数がゲノムの大きさを示す単位として使われます。コロナウイルスの場合は、約3万塩基対ですが、人の細胞となると、父親(精子)、母親(卵子)からそれぞれ30億塩基対を受け継ぐので計60億塩基対からなることになります。人体は約37兆個の細胞からなるといわれていますので、人体の総塩基対数は37兆×60億という、すごい数になりますね。
 ところで、私が高校生だった頃は、理科でゲノムとかウイルスについて学んだ記憶がありませんが、ゲノムやウイルスの研究が本格的に行われるようになったのは戦後で、戦後派でも高齢者に属する我々が子供だった頃の教科内容には含まれていなかったと思います。今の若い人は、理系の大学出身者でなくとも、高校の理科の授業で、学んでいる筈です。

 
 図3:塩基対の連なりを文字で表現した図
A(アデニン),T(チミン),C(シトシン),G(グアニン)


 しかし、ウイルスの歴史はとても古く、また、その起源については諸説あります。太古の生物としては、約35億年前に登場し、光合成を始めて多くの酸素を放出したシアノバクテリアがよく知られていますが、その頃にはすでにウイルスは存在していたと思われます。現存人類(ホモサピエンス)の出現は約20万年前といわれていますので、ウイルスは遥か遥か昔から存在していたものなのです。
 では、今回の新型コロナウイルス(病名=COVID-19ウイルス名= SARS-CoV-2)は、どんなウイルスなのでしょうか。それは多くの科に分類されているウイルスのうち、コロナウイルス科に属しており、同じ科には、SARS, MERS, および、一部の風邪ウイルスなどがあります。コロナウイルスの呼称は、形状が太陽のコロナ(光冠)や王冠と似ているからです。大きさは50ナノメートル~200ナノメートルですが、1ナノメートル=10-9m=10-6mmですから、0.00005~0.0002mm となり、ものすごく小さく、電子顕微鏡でもやっと見える程度です。(左下の写真)


 
写真:
電子顕微鏡が捉えた新型コロナウイルス
国立感染症研究所提供 

 ウイルスは、細胞からDNAまたはRNAが独立したものですから、大きく分類するとDNAウイルスとRNAウイルスがあります。新型コロナウイルスは、RNAウイルスですが、RNAの主な役割はDNAに蓄えられた遺伝情報を翻訳し、タンパク質を合成する、仲介役とされています。従ってDNAに比べて不安定で変化しやすいと言われています。ですから、新型コロナウイルスも、感染時期や地域によって、少しずつ変異して来ているようです。ワクチンや特効薬を開発する場合、そのことを踏まえながら開発を進めて行く必要があるのでしょうが、変異を恐れすぎる必要はないようです。毒性が強まれば宿主が死に、ウイルスも生きらなくなります。ですから、逆に毒性が弱まる方向に変異して行く可能性もありうるからです。
 今度の新型コロナウイルスの感染拡大で、ウイルスは人に感染し人を死に追いやる恐ろしいものという印象が多くの人の脳裏に焼き付いたと思いますが、ウイルスの仲間には、人に無害なもの、そして有用なものも沢山あるようです。特定の細菌に感染し、その細菌を溶かしてしまうファージと呼ばれるウイルスは、医療に役だっていますし、最新のウイルス、ゲノム研究から、新世代のワクチン、DNAワクチン、ベクターワクチンなどが開発されています。私は、今回のことから、人より遥かに歴史が古く身近なウイルスについて、もっと興味を抱くべきだった、と改めて思いました。ウイルス研究も、ゲノム科学も、まだ若い科学ですから、これからも短期間に新たな大発見が続き、次々と学説が新しく書き換えられて行くと思われます。なお、色々な書物、資料から、ウイルスについて学ばせてもらいましたが、特に最近読んだ、山内一也著「ウイルス・ルネッサンス~ウイルスの知られざるウイルスの世界」から得たものが多いので、著書名を記載し、敬意を表したいと思います。

人類の歴史と感染症


 今回の新型コロナウイルスは、100年に一度しか起こらない、パンデミック(世界的流行)をもたらした感染症といわれています。
 実際に100年前の1918~1920年には、「スペイン風邪」が世界的に大流行し、世界の感染者は5億人、死者は4000 万人(推計値)といわれ、日本でも38万人超の死者が出ています。病原体はインフルエンザウイルスでした。
 人類は、過去に幾度も感染症の大流行に襲われ、中世(14世紀)のヨーロッパでは、ペスト(黒死病)が大流行し、当時のヨーロッパの人口の1/3がペストの犠牲になったと云われています。それ以降もペストはヨーロッパで18世紀頃まで間欠的に大流行を繰り返しています。
 今回の新型コロナの大流行もすさまじく、すでに現時点で感染者が世界で800万人を超え、そして死者も40万人を超えていますが、それでも100年前のスペイン風邪に比べれば、感染者、死者の数はずっと少ないです。
ただ、100年前と現代では、人間社会の生活様式が大きく変化してきています。今や、人々は国境を跨いで自由に行き来出来ます。現代では国境を越えた人々の移動・接触があって、はじめて経済も文化も成り立っているのです。従って世界に広がった感染拡大は、人間社会の営みを大きく狂わせてしまいました。
 観光業界、航空会社などは勿論、世界に工場を持つ製造業なども、大きなダメージを受けていますし、芸術、文化も大打撃を受けています。
 人間社会そのものが変化して来ていますから、感染源かウイルスか細菌かということに関係なく、時代とともに感染症が人間社会に及ぼす影響の質が変わって来るのでしょう。

人の生活、そして音楽活動への影響は

新型コロナについて、ウイルスの性格と感染にいたる経路が次第に明らかになって来ると、三密(密閉、密集、密接)を避ける、手洗いの徹底、外出時にはマスクを着用するという、感染を避けるための生活スタイルが奨励されるようになりました。
 人は本来人間同士が接触触することで生きる力を得て行くものです。握手、抱擁、おしゃべり、会食、向かい合って熱っぽく議論するといった行動形態は、人間同士がコミュニケーションを深め、生きるための活力を得るために必要不可欠なものでしょう。今回のコロナは、人が人らしく生きるための活動をことごとく妨げているようにみえますが、もちろんウイルスにそのような意志があるわけではありません。よく考えてみれば、感染症の多くは、人との接触により感染が広がるものなのでしょう。

 
 画像:ペスト医が装着したマスク
ドイツ、バイエルン州インゴルシュタッドの医学史博物館所蔵


 ヨーロッパにおけるペストの流行時に、医師が不気味なマスクをつけた姿が多くの絵画に残されていますが、医学が未発達だった昔は。いまほど感染の経路が掴めず、魔術師がつけるような不気味なマスク(右の画像)をつけことで、悪魔のような病原を撃退したいと願ったのではないでしょうか。
そして、現代では考えられないほどの、何千万人、何億人といった多くの犠牲者を出したのでしょう。

 しかし、三密を避ける行動形態は、コンサート活動などを極めて困難にさせます。私がプロデューサーを勤める筈だった4月13日に予定していたFresh Concert CMDJ2020、9月24日に予定していたCMDJ2020年オペラコンサートは、いずれも中止を余儀なくされました。
 また、私は3月7日、びわ湖ホール公演のワグナー『神々の黄昏』のチケットを、知り合いの出演者に頼み、なんとか手に入ることになったのですが、新型コロナのため、突然、無観客公演に変更され、びわ湖ホールの観劇とセットで計画していた、京都旅行もおじゃんになってしまいました。

 
上:昨年度のFresh Concertのステージより
下:2017年のCMDJオペラコンサート
『ルサルカ(ハイライト)』の舞台より

 一般の人々はもちろん、音楽家にとっても厳しく辛い季節が続いていますが、人というものは、どんなに困難な状況におかれても、自分が今まで続けて来たことを生かそうと工夫するものです。
 ビジネスの世界では、テレワークへの移行が進み、教育界でもオンライン授業が盛んになって来ていますが、音楽の世界でもオンライレッスン、オンラインコンサートなど、直接肉体が触れ合わさなくとも、映像と音を通して、意志や感情を伝え合う方法が試されています。生の音楽と同じというわけには行きませんが、メディアを使うことで新しい発見もあるようです。
 しかし、音楽ファンなら、やはり本当に聴きたいのは生の音楽でしょう。
夏が近づいてきた今は、ヨーロッパ、日本とも、感染拡大がやや収まり、オーケストラのコンサートが再開される動きが出てまいりました。
 6月6日には、楽友協会ホールでウイーンフィルのコンサートが再開され、ベートーヴェンの「運命」などが演奏されました。入場者数はホールの収容力の僅か1/20の100名に制限されましたが、演奏者間の間隔は通常のままでした。理由は、飛沫の飛び方を計測してみたところ、通常の間隔で座っていても、隣の演奏者に飛沫がかかることがないことが実証されたからということでした。
 日本のオーケストラも、6月10日の日フィルを皮切りに、様々なオーケストラ団体がコンサートを再開しました。日フィルは、無観客ネット配信でしたが、6月13日の京都フィルは、お客を入れて再開され、それに続く各団体のコンサートもお客を入れるようです。
 日本のオケは、演奏者間の間隔の設定については1.5~2Mというソーシャルディスタンスを守り、そういう条件のもとで、いかにしてよく響かせるか工夫しているようでしたが、お客さんに対しては、厳しい条件のもとで、少しでも多くの人々に音楽を楽しんでもらおうという気遣いが感じられます。
 私は、現場にいた訳ではありませんが、対応のあり方にそれぞれの国の国民性の一端が覗けるように思いました。
 日本のプロ野球も、3ヶ月遅れ、6月19日に無観客という条件で始まりましたが、音楽もスポーツも満員のお客を集め、プレーヤーとお客がともに喜びを分かち合うことが出来るのは、コロナ終息後のこととなるでしょう。

新型コロナの感性拡大と小説「ペスト」

 ところで、新型コロナの感染が拡大する中で、カミユの小説『ペスト』が復活し、多くの人に読まれているというニュースが入り、私はとても嬉しく思いました。我が国ではカミユの小説の中では『異邦人』の方が多く読まれており、大学に勤務していた頃、カミユの研究をされている新任のフランス文学の先生に、私が『ペスト』から強い感動を受けたと話すと、「『異邦人』以外の作品を読んでいただき光栄です。」と感謝されたことさえあったほどです。
 『ペスト』は作者が若い頃体験した反ナチ運動をペストという感染症との闘いに仮託して書いた文学ですが、信条も性格も職業も異なる人々が、お互いに協力してペストという不条理に立ち向かって行く物語です。信条も価値観も異なる相手は理解し難く、時には対立したりしながらも、それぞれが自分の課題に誠実に立ち向かう姿をみて、次第に友情と連帯感が育まれて行きます。
 もう30年近く前になりますが、私が本会の事務局長だったころ、総会で「一致団結型の組織から不一致協力型の組織へ」というスローガンを掲げたことがありました。それは、特定のイデオロギーに偏らないリヴェラルな団体に生まれ変わることを意味していますが、「不一致協力」という言葉はカミユの『ペスト』から啓示を得て生み出した造語です。
 今、世界には様々な人種、様々な宗教、そして政治体制、社会体制が異なる多くの国家、多くの人々が存在しています。それぞれの価値観、利害関係が異なっても、新型コロナに立ち向いそれを克服して行くためには、世界中の国家と人々が、違いを乗り越え、連帯、協力し行く必要があるでしょう。小説において、ペストに立ち向かった人々がそうであるように。

新型コロナは人間社会に何を残すか

  感染力が予想していた以上に強く、世界中に感染が拡大した新型コロナですから、自然終息はありえず、少なくとも本年中は、コロナの顔色を覗いながら、恐る恐る生活を送るという状況が続くものと思われます。従って今の段階で、コロナ後の社会を語るのはまったく憶測の域を出ませんが、予見がどれほど当たったか数年後に振り返ってみるのも一興と思い、ひとまず3つのカテゴリー分けて、論じてみることにしました。

1:人は失敗を糧として成長するものである。  

 この格言は個人のみでなく、国家、人間社会といった大きな集団にまで敷衍できるのではなかと思います。今回の新型コロナでは、韓国、台湾は、PCR検査体制を充実させ、感染の拡大を防ぎましたが、それは、コロナウイルスの仲間であるMERS,SARS における感染拡大の教訓が生かされたからだそうです。つまり過去の失敗を糧として、今回のような迅速な対応が可能になったということです。  
一方、我が国は、西洋諸国ほど多くの犠牲者は出してはいないものの、PCR検査体制の不備が目立ち、海外の一部のジャーナリズムから、日本はオリンピックを開催したいため、あえて感染者数を少なめに報告しているのではないか、という誤った情報が流されました。我が国は、SARS,MERS のみならず、2009年の新型インフルエンザの世界的流行に際しても、犠牲者を最小限に留め手際よく切り抜けたことから、 油断が生じたのかもしれません。
また、2011年の原発事故の際も、責任を問う前に、世界に向けて徹底的に事実を究明公開し、後の世の人類の糧にして欲しいと願ったのですが、そこまでには至らなかったようです。
今回の新型コロナの起源についても、コウモリなど動物からの感染説、研究所で人工的に作られたウイルスが管理不行き届きから漏れ出したなど、色々な仮説がありますが、それを政治的に利用して、国家間の対立を煽るような言動も目立ちます。
まずは責任を問う前に、全世界が協力して事実を徹底的に究明し、それを公表・記録し、後の世に生かせるようにして欲しいと願います。正確な失敗の記録は、将来同じ過ちを繰り返さないための貴重な財産となるでしょうから。

2:新型コロナはいつ終息するか、来年の東京オリンピックの開催は可能か。

 今回の新型コロナは、その感染力と世界的な広がりからみて自然終息はありえないし、また、多くの人々が感染し集団免疫を得るまで待てば、さらに多くの犠牲者を出してしまうでしょう。
世界の多くの人々が、新型コロナを気にせず生活出来るようになるには、ワクチン、特効薬の開発成功と量産が不可欠であり、それは、来年後半かもっと先になるかもしれません。
では、来夏の東京オリンピックの開催は果たして可能でしょうか? 私は可能と見ています。新型コロナの感染拡大を阻止するため、いまは世界の多くのチームが、ワクチンや特効薬開発に懸命に挑んでいます。近年ワクチン開発の技術は進歩し、新しい方法も試みられているため、これまでにない速さで開発に成功する可能性があります。しかし、オリンピックの前までに世界の隅々にまで行き渡るほど量産するのは難しいかもしれません。従ってワクチンの開発、病気の危険性を弱める特効薬の生産、より迅速で且つ精度が高い検査方法の確立という3つ条件が重なりあう必要がありそうです。
 しかし、それでも新型コロナについて、それほど神経質にならずとも、オリンピックが開催され、世界の人々がそれを楽しむ日々が、来夏には訪れそうに思います。
 けれども、ワクチンの開発が期待したほど進展せず、3つの条件を重ねあわせても安全な環境のもとオリンピックを開催する目処が立たず、再び、中止や延期を余儀なくされる可能性も残されています。その場合、日本国民のみならず、世界中の人々が大きなダメージを受け、人間社会そのものが自信喪失状態に陥るかもしれません。しかし、長い目で見れば、そのような失敗を経験することで、人類は己の知力、対応力の限界を認識し、より謙虚になり、地球温暖化などの問題についても、真摯に立ち向かうようになると思います。人類にとって何がプラスするかは、ずっと後になって振り返ってみないと判らないのです。

3:新型コロナは人間社会に何を残すか

 新型コロナが終息し、三密などを気にせず人と人の接触が可能になると、人々はこぞって今までの生活を取り戻そうとするでしょう。お互いに接近し肩を寄せあい同じ皿の料理をつつきながら語り合う楽しい会食、ステージと客席が一体となり感動を分かち合うコンサート、汗や血を恐れず激しく肉体をぶつけあうスポーツの観戦、家族揃っての旅行や、公園散策など、戻って来た人間らしい生活を存分に楽しむことでしょう。
では、コロナの感染時に唱えられた「新しい生活様式」は、すっかり忘れ去られてしまうのでしょうか。多分すべて消え失せてしまう訳ではなく、例えば「会社の仲間とまた付き合えるようになるのは嬉しいが、満員電車に長時間詰め込まれ毎日疲れて勤務先まで通うのにどれだけの意味があるだろうか。直接会わないと処理出来ない仕事についてはともかく、多くの仕事はテレワークで間に合うし、その方が効率的ではないか」といったように、新しく生まれた生活様式の一部は、コロナ終息後も確実に生き残って行くと思います。教育活動においても、直接先生や学友達と触れ合うことの大切さを改めて感ずるとともに、オンライ授業の利点も再認識され、学校教育におけるIT化もより進展するとみています。
企業活動などはどう変わって行くでしょうか。コロナ感性拡大という困難な時期に、創意工夫し、新しい方法を発掘した企業は、コロナ終息後も業績を伸ばして行き、それが出来なかった企業は弱体化し、企業間の格差が広がる可能性もあります。

 
 左:DNAの二重螺旋構造/右:RNAの一本鎖構造

 人間社会は、新型コロナウイルスの大感染のような、いままで経験しなかったような事態を経験したからといって、短期間で人の本質や、価値観が大きく変わるわけではありませんが、何かが変化するキッカケとなるかもしれません。
私が期待するのは、今回の事件が「人と人の連携」、「知と知の連携」の重要性を再認識させるキッカケとなることです。  
世界的に拡大した感染症に立ち向かうためには、一国家だけでは限界があります。より早く新型コロナを終息させるためには、人類が国家や民族の垣根を越えて国際的に連携・協力して行く必要があります。それが「人と人の連携」です。
一方、新型コロナの終息が見通せない中で、国民の心身の健康と生活を守るためより有効な対策を打ち出して行くめには、医療、経済、芸術文化、スポーツ、政治、IT技術、社会学、心理学など多くの分野の人々が知恵を出し合い、それを重ね会わせて行くことが必要と考えます。それが「知と知の連携」です。
 幸いに少しずつそういう兆しが見えてきているように感じていますし、それは、コロナ終息後の社会においても、重要な意味を持つと思います。
ウイルスの話からはじめて、色々書かせてもらいましたが、それでもまだ書き尽くせない思いが強いです。ウイルスの項で触れたDNA、RNAのゲノム(遺伝子情報)は、塩基対が長く連なり二重螺旋構造あるいは一本鎖構造などを形成したものです。
 私は、多くの分野に触れながらも、それらが関連性をもって一体化した文の作成をめざしましたが、もし、読み終わった方が、それぞれの章がバラバラで一体性がないと感じたとしたら、それは、私の力不足がもたらしたものと思いますので、お詫び申し上げます。
 まだまだ新型コロナの感染は収まらず、しばらく今の状況が続くと思われますが、私はそれに負けず、自分自身の課題に挑戦して行くつもりです。皆様もそれぞれの課題をみつけ、お元気にお過ごし下さい。


                 (なかじま よういち) 本会 理事・相談役
                                        季刊『音楽の世界』 2020年夏号 コロナ特集(1)より

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