いつものことだが、夜叉神峠へ来た時は、必ず野呂川の方に下り、野呂川林道からも、白峰を眺めることにしてしている。野呂川林道からだろ、白峰はさらに近くなり、深い崖から3000メートルの高山がそびえ立っているので、高度感が素晴らしい。

野呂川林道には、いくつかのトンネルがあるが、山地はまだ早春で、トンネルの道は屡々凍っている。左下のトンネルの手前には大きな氷塔が立っている。

右下の大きな石碑には、「天皇皇后両陛下御野立所」の文字が彫られている。天皇陛下とは、昭和天皇のことである。両陛下もこの場所から、雄大な白峰三山を眺められたことであろう。

3月29日の午後、甲府からバスに乗り芦安につきました。この頃はオフシーズンでも芦安まで定期バスが入っていました。
 左は芦安付近から撮した、南アルプス前衛の山の山並みです。
この日は、芦安鉱泉に浸かり、翌朝、夜叉神峠に登る計画でした。天気図からして翌日の晴天が期待できたからです。

左下は、白峰三山の稜線が笹山を通り次第に標高を下げるが、稜線の奥に南アルプス南部の山並みが少し覗いている。山容からして悪沢岳(3141m)と思われる。
右は、云わずとしれた、我が国第二の高峰北岳。
下りは、車道ではなく、旧道を通って芦安に下ることにした。何度も通過した道だが、次第に人が通らなくなり、道はかなり荒れていた。右下は、途中にあった山の神の祠である。

左は、野呂川から見上げた、北岳と間ノ岳である。恐ろしく高く聳えている。
上は、農鳥岳(右と)前衛峰、大唐松山(2561m)である、南アルプスは森林限界が高く、大唐松山は頂稜まで、針葉樹に覆われている。


野呂川林道の一番長いトンネルをくぐると、朝通っていた、夜叉神峠の東側の登山口に戻る。

ここらは西側の山並みが望める、左下は甲府方面の眺め、右の写真は大きな山容を持つ櫛形山(2052m)である、
翌日はタクシーに乗ってで峠登り口まで行きました、(下左)
当山道には、28日と、それより少し前に降雪があり、登山道を残雪が埋めていました。
夜叉神峠までは1時間強の道程ですが、滑らないようにゆっくり登りました。

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とうとう、登りが終わり、次第に平坦になり、白峰三山(左より農鳥岳(3051m)、間ノ岳(3190m)、北岳(3193m)の高貴な白い峰々が目に入る。日本第二、第三の高峰が並ぶその姿は雄大である。

夜叉神峠から南アルプス白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)展望

左は、峠に佇む夜叉神峠小屋、この時期だと閉鎖されているが、1960年代の初冬
弟とこの小屋に泊まり、翌日は辻山→薬師岳→観音岳→地蔵岳を縦走し、鳳凰小屋に泊まったことがあった。晴天に恵まれ、快適な山旅であったが、弟と二人で泊まったこの小屋は、恐ろしく寒かったことを覚えている。翌日の鳳凰小屋の宿泊は、数年前にも来ており、山小屋の管理人に顔を覚えてもらっていたので、十分暖房が効いた管理人室に泊めてもらい、暖かく快適に過ごした。


下は、私が夜叉神峠に着いた後、もう一人登山者が登って来たので、白峰を背景に写真をとってもらったもの。正面の間ノ岳は、本当に大きな山だ。、

2000年3月29日~3月30日

天候に恵まれ、前日は鉱泉に泊まり、翌日は雄大な景色を眺めながらぶらぶら歩く、気楽な山行だった。

左下は、前日泊まった芦安鉱泉岩園館。右下は、観光案内所、この近くに甲府行のバス亭があったが、今はこの路線は廃止されていると思う。
タクシーか、または、岩園館の送迎送迎用車を使わないと入ってこれないと思う、